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3分間の読み物

科学的根拠に基づくSCジョンソン社の原材料選択の一例となるガラクソリド

当社製品の安全性については、推測を避けるのが私たちのやり方です。自分の家族の周りで使用する物に対して、想像で判断などしないでしょう。それと同じで、お客様が大切な人たちの周りで使用する物に対しても、あやふやな推測はしたくないのです。私たちはいつでも、可能な限りベストな研究に基づいて判断を下しています。私たちは判断のかじ取りを科学に委ねます。

このアプローチは近年、当社が芳香成分ガラクソリドに関してインターネットで中傷の的となった際に生まれました。この成分は合成麝香(合成のムスクの香り)として知られています。(天然のムスクは雄のジャコウ鹿のジャコウ腺から採取しなければならないため、ここ数年使用されていません。) 

科学的証拠なしに、当社はフレグランスからガラクソリドを排除しなければならないとの圧力を受けました。ガラクソリドが水中生物にますます大きな問題を及ぼす可能性があると示唆する研究は、いくつか存在します。しかし現時点で世界の科学的権威者たちは、安全な濃度で使用した場合にガラクソリドが有害であるという結論には至っていません。 

環境への責任とはまず、衝動ではなく情報を得ること

ガラクソリドへの懸念があると知り、私たちは科学を改めて見つめ直しました。当社は常に、新しい考え方を聞き入れる姿勢をもっていますが、同時に衝動的にならないよう注意しています。何かを変えるときは、その変化に伴う結果を確実かつ十分に理解しておきたいのです。

新しいものが必ずしもよいとは限りません。新しい選択肢の評価には時間と研究が必要ですが、私たちはその過程を重んじています。ガラクソリドのケースでは、研究を続けたところ喜ばしいことに、近年のいくつかの研究により当社の設ける高基準を満たすガラクソリドの代替が見つかりました。実証データを得たことにより、事業はこれまでよりもさらに良い方向に進んでいます。

ただしこれは今に始まったことではありません。これまでにも私たちは、たとえビジネスにとってマイナスの影響があると予想される場合であっても、成分に関して正しい行動を取ってきた数々の実績があります。当社は問題のある化学物質を早期に除去する役割を担い、10年近くかけて成分開示へ数百万ドルを投資するなど、この姿勢を幾度となく行動で示してきました。

専門家と証拠にもとづいた最良の判断

私たちはまた、製品に関する化学を研究している政府の科学機関を尊重し支援しています。世界中には、各国政府のもとで研究を行っている科学者たちが何千人といます。彼らにもまた家族があり、私たちと同じ情熱をもって健康、安全と未来について真剣に考えています。

たとえばガラクソリドのときのように、これらの専門家がフレグランス用化学物質を使用してもよいと判断する場合、当社は彼らの指導を尊重します。私たちは科学を軽視したり、慎重に評価された成分について非難をしません。科学に進歩の余地があるのは確かですが、入手可能なデータと調査に基づくことが一番の安全であると信じています。 

欧州化学機関(ECHA)および米国環境保護庁(EPA)は、ガラクソリドをいわゆる「PBT」(残留性、体内に蓄積されやすい、有害性がある)化学物質として認めていません。

ECHAとEPAの研究では、時間経過とともに計測したところ、堆積物中およびハウスダスト中のガラクソリドのレベルは変化しなかったことが確認されています。これらの研究の結果、ガラクソリドは蓄積せず、ヒトの健康と環境にとって安全であると証明されているレベルにとどまっていることがわかっています。

当社製品の安全性については、推測を避けるのが私たちのやり方です。私たちは判断のかじ取りを科学に委ねます。

良い科学的プロセスとは、安全性とインテグリティに尽きる

安全レベル、これが重要なポイントです。すべての化学物質は、一定のレベルを超えると有害となる危険性を秘めています。水は、過剰に飲みすぎると有害です。食塩は、摂取しすぎると健康を損なう可能性があります。どのような成分であれ、安全に使用できる量を知り、その安全レベルを超えないようにすることが大切です。私たちはすべての処方において、これを鉄則としています。
 
私たちにとって、成分の選択はインテグリティ(誠実さ)に関わる問題なのです。つまり、行動を裏付ける証拠のないトレンドに走るのではなく、科学のインテグリティをもって、慎重に行動をとること。成分の安全性の範囲を理解し、それを保守的かつ誠実に順守すること。
 
そして、科学的なプロセスに従い、データ収集に時間をかけ考え抜いた上での決断をすることです。私たちにとって、そしてお客様にとっても気持ちのいい選択は、このようにして作られるのです。これ以下を期待しているお客様などいないことを、私たちは知っています。